人が亡くなると星になるという話を最初にしてくれたのは母だった。昨日の日記を書きながら改めて考えを巡らせていたら、ふと思い出すものがあった。坂本龍一さんが月刊文芸誌『新潮』で連載されていた「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」のことだった。2022年7月号からはじまり、つい2ヶ月ほど前、2023年2月号で完結した。わたしの手元には、メルカリで購入した連載初回の掲載号と、近所の書店で予約して手に入れた最終回が掲載された号だけ。間がすっぽり抜けてしまっているのは、連載の存在を知った頃にはもう終了間近だったからで、今となっては、人気の高さゆえ中古でもなかなか手に入らない。電子版もないし、いつか図書館かブックオフかメルカリかで探し出して、坂本さんの言葉に出会ってみたい。
かろうじて我が家に迎えることができた二冊のうちの一冊、『新潮』2022年7月号の連載第一回で、坂本さんが"死後の世界"についてお話しされる場面がある。
わたしはこの章がとてもお気に入りで、iPhoneのボイスメモにじぶんの声で朗読して保存している。それを時折、寝しなに真っ暗な部屋のベッドの上で聞く。ちょっと変な趣味かもしれないけれど、本を読むためのライトやスマホの液晶画面は睡眠前には眩しすぎるし、明日の朝の目覚めを少しでもよくするには、この方法がちょうどいい。なにより、声に出して読み上げること、そしてそれを聞くという行為に大きな安らぎを感じる。心震わす言葉に出会うたび、ちまちまとコレクションしてはひとりでに癒される、自分だけの遊びだ。
坂本さんがこの連載をスタートしたのには、ご自身のガンの再発が大きく関わっているようで、残された時間の中で人生を振り返っておこうという考えのもと、まっすぐな言葉で赤裸々に語られている。(参考: 月刊文芸誌「新潮」で、坂本龍一氏による自伝 「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」連載開始)
坂本さんは、天文学者であり作家でもあるカール・セーガン、エコロジストとしても知られらるブラジルの作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンの名前を挙げながら、"死んだあとには星になる"という幻想的な話に触れつつ、連載の第一回をこう結んだ。
セーガンやジョビンの想像力、そして死んだらお星様になるという素朴なファンタジーを、いまのぼくは決して否定したくありません。果たして死後の世界があるかどうかはわからないけれど、ぼんやりとそんなことを考えています。
引用元: 坂本龍一「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」第1回「ガンと生きる」/『新潮』2022年7月号掲載
いまのわたしが死後の世界について話すとき、心の底から信じているかと問われたら、曖昧な返事しかできないと思う。そもそも、確信めいた話なんて誰にだってできっこない。それでも、わたしが科学的根拠のない空想を受け入れてみる、あるいは否定しないでみることは、いつかのどこかでじぶん自身を救済し得るって考えているからだろう。きっとこれは、祈りにも似ている。
書きたいことがいっぱいあるのだけれど、なかなかまとまらず、もどかしい。頭の中はいつだってぐるぐる。
おやすみなさい、木曜日。
それでは、きょうはここまでーー
(2023.3.9)